社団法人 土地改良建設協会
土地改良とは

 

土地改良事業とは
 「 土地改良法 」(1949(昭和24)年制定)に定められた、以下のような事業です。
1.農業水利施設の整備(農業用水の確保や農地等の排水改良など) 
2.農地の改良(暗渠排水や客土、土地改良など)
3.農地の整備・開発(区画整理や農地・草地の造成、干拓など) 
4.農道の整備 
5.農地の防災・保全(防災ダム、ため池の改修、湛水防除、特殊
      土壌地帯の保全など) 
6.農業水利施設などの土地改良施設の管理 
7.上記と一体的な農村の生活環境
    (営農飲雑用水、農業集落排水、
     農業集落道など)の整備や自然
     環境(水環境、生物生息空間、
     農村景観など)の保全・整備等
 なお、国の予算では公共事業の中の一つで、「農業農村整備事業費」として計上されています。
十六橋水門「安積疎流」(福島県猪苗代湖)
 「 土地改良法 」は、1899(明治32)年に制定された「耕地整理法」、1908(明治41)年に制定された「水利組合法」などを統合して、戦後の農地改革の農業・農村の民主化および経済再建の一環として制定され、わが国の経済社会の変化に対応して一部改正を行いながら現在に至っています。
 特に2001(平成13)年には、土地改良法の目的に「環境との調和の配慮」を盛り込んだ改正がなされています。

奈良盆地に刻まれた古代条里制の遺構

 土地改良事業は、学問や技術の面では、「農業土木」と言われています。農業土木の歴史は、紀元前に、日本列島に我々の祖先が住みつき、狩猟採取の時代を脱皮し農耕を始めた時代に出発しています。つまり、農耕社会は、水田や畑を造成し、灌漑用水を確保し、農地の排水を行うことから始まっています。

 水田や住居遺構として有名な登呂遺跡に代表される弥生時代より以前の縄文時代に、既に稲作は導入され、水田が造成されたと言われています。
 7世紀頃から実施された条里制耕地区画の遺構は、現在でも奈良盆地を始め各地に残っています。8世紀に編纂された『古事記』や『日本書紀』の中にも、ため池や用水路を建設した記録が残されています。9世紀に活躍した弘法大師・空海は、現在も使われている香川・満濃池の修築を指導したといわれています。

先人達の努力の結晶、棚田(愛媛県五十崎町泉谷)  戦国時代から江戸時代には、新田開発や農業水利開発が盛んに行われ、農業生産力の飛躍的な向上と増加する人口の扶養に寄与してきました。
 現在のわが国の「むら」や水利体系は、この頃その原型が出来上がったといわれています。

 明治時代以降も、安積疎水那須疎水明治用水などの農業水利開発や新潟平野などの排水改良、児島湾・巨椋池・有明海などの干拓、北海道、三本木、牧の原などの開墾、耕地整理(当時の標準区画は8〜10a)などが行われてきました。
 なお、1900(明治33)年に、現在の東京大学農学部で「ハチ公」の飼い主であった上野英三郎博士が「耕地整理学」を担当し、これが近代の「農業土木学」の出発となりました。

野火止用水・玉川上水の羽村取水堰(東京都羽村市) 終戦直後は食料増産対策のため、愛知用水や根釧開拓などは世界銀行の資金を活用して建設が進められ、八郎潟干拓はオランダの技術援助を得て建設されました。
 1960年代からは「農業基本法」(1961(昭和36)年制定)に基づき、農業生産性の向上を図るため、全国各地で農業水利開発や農地・草地の造成が進められるとともに、既存の水田を中心に圃場整備(標準区画は30a、現在は1ha以上の大区画も採用されている)などが進められてきました。
 1970年代からは広域農道整備、農村総合整備、農業集落排水整備などが進められ、1990年代からは農村の自然環境整備、田園空間整備(エコミュージアム)など農村環境整備が進められてきました。

 このように、土地改良事業は農耕の開始とともに「土地に刻まれた歴史」を形づくってきました。 また、作家の司馬遼太郎は、「日本には稲作文化を支えた農業という技術と土木という技術を併せ持った世界に比類のない学問−農業土木学−が現代に継承されている」ともいっています。

 現在、土地改良事業は、1999(平成11)年に制定された「 食料・農業・農村基本法 」に即して、その基本理念を実現するための基礎条件づくりとして、また、農業・農村の社会資本整備として位置づけされています。


土地改良に関する詳細情報

    農林水産省       水土の礎       新・田舎人フォーラム

 

 

 | このページのトップへ戻る |