土地改良事業と農業土木について


1.歴史 第二次世界大戦以前
(1) 土地改良事業は、「農業土木」と呼ばれることもあります。これは、農業や農村に関係する土木事業を指しており、我が国での水田農業の歴史とともに発生した言葉ということができます。初期の農耕社会は、水田を造成しかんがい用水を確保することから成立します。水田や住居の遺跡である登呂遺跡にみられる弥生時代の先駆けをなす縄文時代には、すでに農業土木の技術を利用して水田が造成されています。その後、7世紀以降の条里制といわれる区画整理、8世紀に編纂された「古事記」や「日本書紀」に記述されている用水路の建設、9世紀の弘法大師空海による香川県の満濃池の築造などに、古代からの農業土木の歴史をみることができます。

(2) 戦国時代から江戸時代には、新田と農業水利の開発が盛んに行われ、農業生産が 飛躍的に向上し、その結果人口の拡大をもたらしました。そして、この時代に成立した「むら」や「水利秩序」は、現在の我が国の社会の中に受け継がれています。明治時代以降も、安積疎水、那須疎水及び明治用水などの農業水利事業、新潟平野での排水改良、児島湾、巨椋池及び有明海の干拓、北海道、三本木原、牧の原の開墾などが営々と続けられてきました。また、水田の耕地整理は、おおよそ10aの標準区画で全国各地で実施されました。1900年(明治33年)には、上野英三郎が現在の東京大学農学部で「耕地整理学」の講座を開設し、ここから近代の学問としての農業土木は始まりました。なお、上野博士は、「忠犬ハチ公」の飼い主であったことでも知られています。


2.歴史  第二次世界大戦後
(1) 第二次世界大戦直後から、疲弊した国土の再建と食糧増産のため、愛知用水や根釧開拓などの大規模な土地改良事業が開始されました。これらの事業に必要な資金の一部には、世界銀行からの融資も活用されました。また、八郎潟干拓では、オランダからの技術支援も仰いでいます。このような経験を蓄積した農業土木技術とそれに裏打ちされた土地改良事業は、その後の戦後賠償や政府開発援助の場で、開発途上国の農業と農村の開発に大きく貢献し現在に至っていますが、その基礎はこの時築かれました。

(2) 1961年(昭和36年)には、農業生産性と農作物の選択的拡大、そして農家と他産業の従事者との所得格差を克服することを目的として、「農業基本法」が制定されました。この法律に基づき、農業水利事業や農地と草地の開発が全国各地で進められました。また、水田農業の労働生産性を飛躍的に高めるために、標準区画を30aとする圃場整備が一般化することになりました。なお、1990年代の後半からは、標準区画が1ha以上の圃場整備が行われるようになってきています。

(3) 1970年代からは、農業生産性の向上に加えて農村の生活環境を改善することを目的にして、広域農道、農村集落道、農業集落排水(農村下水道)及び農村公園などの整備が進められています。これらの事業によって、全国各地の農村の生活環境は飛躍的に改善されました。

(4) 1999年(平成11年)には、我が国の農業の振興と農村の活性化を目指して、「食料・農業・農村基本法」が制定されました。土地改良事業は、この法律の理念を実現する強力な手段の一つとして位置付けられています。一例を挙げれば、圃場を大区画化しそれを農業経営体に集積する大区画圃場整備は、生産コストの低減による農業経営の安定を図るものであり、これなくして我が国の農業の活性化は不可能と言っても過言ではありません。


3.土地改良法
(1) 土地改良事業の根拠となる法律は、1949年(昭和24年)に制定された「土地改良法」です。この中で、以下に示すような事業が、土地改良事業として定められています。
  • 農業用水の供給や農地等の排水を行う農業水利施設の整備
  • 暗渠排水、客土及び土層改良などの農地の改良
  • 区画整理、農地や草地の造成及び干拓などの農地の整備及び開発
  • 農道の整備
  • 防災ダムの設置、ため池の改修及び特殊土壌の改良などの農地の防災
  • 農業水利施設などの土地改良施設の管理
  • 営農飲雑用水、農業集落排水(農村下水道)及び農業集落道などの農村の生活環境を
       整備する施設や水環境及び農村景観などを保全する施設の整備

(2) 土地改良法は、1899年(明治32年)の「耕地整理法」や1908年(明治41年)の「水利組合法」などを母体にしている法律です。第二次世界大戦後に我が国で実行された民主化と疲弊した経済を再建するため、農業の分野では農地改革が行われました。このような情勢の中で、農業の生産力を拡大するために制定されたのが土地改良法です。その後、我が国の経済や社会の変化を受けて、改正を重ねながら現在に至っています。

(3) 土地改良事業を全国の農村地域で実施するため、国では公共事業として位置付け継続して予算を配分してきています。第二次世界大戦の後には、国民の食料を確保するため、生産の拡大を目指して農地面積の拡大を図る農地の開拓や干拓に力点が置かれ、予算の名称は「食糧増産対策事業」と呼ばれていました。その後、土地生産性の向上や需要が増えている作物の生産に応えるため、圃場整備やかんがい排水といった機械化に対応した生産基盤の整備を行うという性格が強くなり、1960年(昭和35年)にはその名称を「農業基盤整備事業」に変更しています。

(4) その後の社会情勢の変化を踏まえ、農業生産基盤の整備には経営規模の拡大などの農業構造の改善に資する推進手段としての役割が加わり、さらに、農業農村のもつ多面的な機能を踏まえた農村整備へと重点が移ってきたことから、1991年(平成3年)からは、「農業農村整備事業」という名称になって、現在に至っています。


4.将来
(1) これからの土地改良事業において重要なことは、これまでに建設され農業水利施設の老朽化が進行しているため、これを補修あるいは更新などを計画的に行っていくことです。これによって農業水利施設の長寿命化とライフサイクルコストの低減を図っていくことが必要です。また、農村集落が持っている共同体機能を生かして農地、用水、森林、景観及び環境などの地域資源の管理を強化していくことも新しい取り組みです。このような活動が農村の居住者によって担われることで、農業水利施設の適切な管理や耕作放棄地の減少などを実現することが期待されます。

(2) 以上のように土地改良事業は、我が国の農業と農村において「水と土に刻まれた歴史」を形作ってきました。司馬遼太郎は、「日本には、稲作文化を支えた農業という技術と土木という技術を併せ持った世界に比類ない学問―農業土木学―が現代に継承されている」と評価しています。土地改良事業は、我が国の農業と農村を支える社会資本を将来にわたって維持・発展させる役割を果たしていくことになります。

条里制の跡が残る奈良盆地・大和平野
満濃池
円筒分水
安積疏水上戸取水口
東郷調整池
津軽平野